三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

傅士仁

公安を守り、関羽との不和の末に呉へ降った荊州の将

傅士仁は、字を君義といい、幽州広陽郡の人で、劉備配下の将軍です。荊州の公安城を守り、関羽の直属として、南郡の糜芳とともに後方を任されていました。関羽に軽んじられていると感じており、219年の樊城の戦いで軍資の供給が足りず、関羽に「帰ったら処置する」と言われて不安を募らせます。のち孫権に降りますが、経緯は史料により異なります。名は正史で「士仁」とも「傅士仁」とも書かれ、『三国志演義』では「傅士仁」の名で、関羽を裏切った悪役として描かれます。経歴は『三国志』などをもとにしています。

字は君義。幽州広陽郡の人。劉備配下の将軍で、史書には劉備に従った時期の記載がない。関羽が荊州を預かると、直属の部下として、要地の公安に駐屯した。関羽に軽んじられていると感じていた。219年、関羽が襄樊を北伐すると、傅士仁は糜芳とともに軍資の供給を命じられたが、十分に果たせず、関羽に「帰ったら処置する」と言われて、二人とも恐れ不安になった。同年、孫権が呂蒙に荊州を攻めさせると、傅士仁と糜芳は孫権に降った。降伏の経緯は、史料により異なる。『三国志』関羽伝は、孫権が密かに誘い、二人が使者を出して迎えたとする。『呉書』は、公安で守っていた傅士仁に、呂蒙が虞翻を遣わして降伏を勧めたとする。傅士仁は会おうとしなかったため、虞翻は手紙を書いた。傅士仁は読んで涙を流し、降った。虞翻の進言で、呂蒙は傅士仁を連れて南郡に至り、糜芳に見せると、糜芳も降った。降伏後の傅士仁の動向は不明。

THE WAY OF LIFE

傅士仁の生き方

公安は、荊州の要地だった。関羽の直属として守りを任されたが、関羽に軽んじられていると感じ、樊城の戦いの軍資供給が十分でなく、「帰ったら処置する」と言われて、不安を募らせた。

虞翻は、手紙で「明者は禍を未然に防ぎ、智者は将来の患いを図る。死戦すれば宗廟を滅ぼし、天下の笑いものになる。降れば義を失うが、どうか熟慮されたい」と説いた。傅士仁は読んで、涙を流して降った。

持ち味と、その裏側

荊州の要所を任されるだけの、劉備と関羽の信任。一方、関羽との不和と、北伐への支援の乏しさから、荊州を失う一因として語られる。楊戯の『季漢輔臣賛』は、糜芳・士仁らを「二国の笑いもの」と厳しく批判し、李贽も、傅士仁を「真の反逆者」と糜芳より重く見る。降伏後の動向は不明で、のちの生涯はほとんど分かっていない。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜没年不詳

幽州広陽郡の人。字は君義。

  1. 生年不詳: 劉備の将軍となる。劉備に従った時期は、史書に記載がない。
  2. 関羽が荊州を預かる頃: 関羽の直属として、要地の公安に駐屯した。関羽に軽んじられていると感じていた。
  3. 219年: 関羽が襄樊を北伐する。傅士仁は糜芳とともに軍資の供給を命じられたが、十分に果たせず、関羽から「帰ったら処置する」と言われて、不安を募らせた。
  4. 219年: 孫権が呂蒙に荊州を攻めさせる。『三国志』関羽伝は、孫権が密かに誘い、二人が使者を出して迎えたとする。
  5. 『呉書』の記す降伏: 呂蒙は虞翻を公安に遣わし、降伏を勧めた。傅士仁は会おうとしなかったが、虞翻の手紙を読んで涙を流して降った。虞翻は「これは謀りごとだ。傅士仁を連れて南郡に行き、兵を残して公安を守らせよ」と進言し、呂蒙はそれに従った。
  6. 219年: 呂蒙が傅士仁を南郡で糜芳に示すと、糜芳も降った。『呉主伝』は、呂蒙が公安を襲って、将軍の士仁を捕らえたとする。
  7. 以後: 降伏後の動向は不明。
  8. 『三国志演義』: 関羽の先鋒となるが、夜の酒盛りで失火し、軍器と兵糧を焼く。関羽に処罰されそうになるが、費詩の取りなしで四十の杖に改められ、公安を守らされる。虞翻の手紙で降り、糜芳も誘って降る。夷陵の戦いで、馬忠を殺して劉備に降ろうとするが、関羽の仇として、関興に斬られる。

主な出典
『三国志』蜀書「関羽伝」「邓張宗楊伝」(楊戯伝)、呉書「呂蒙伝」の注に引く『呉書』、「呉主伝」、『華陽国志』。経歴は Wikipedia「士仁」の記述も参照しています。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:中立・悪

主君・関羽への不安から、命令に従わず、降伏の道を選んだ経緯から、規律は混沌寄りに置いています。

関羽との不和と、処罰への恐れから降伏に至ったことが、史料に記される。自己保身が目立つため、動機はやや利己寄りに置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。