三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

傅僉

同僚に裏切られ、蜀が滅びる年に陽安関で降らずに死んだ将

傅僉は、夷陵で殿軍として死んだ傅肜の子です。父の功で左中郎に任じられ、関中都督となって陽安関を守りました。263年、鍾会の大軍が漢中に入ると、副将の蔣舒が「出て戦おう」と言い、傅僉は「命を受けて城を保つのが功だ。命に背いて出て負ければ、死んでも益がない」と断りました。蔣舒は「ならば各々志を行おう」と兵を率いて出て、そのまま魏に降り、空になった城を魏の胡烈が襲いました。傅僉は格闘して死に、魏の人々もその義を称えました。経歴は『三国志』蜀書「姜維伝」「楊戯伝」と『漢晋春秋』をもとにしています。

義陽の人。父の傅肜が222年の夷陵で劉備を逃がすために殿を務めて戦死すると、その功で左中郎に拝され、のち関中都督となった。263年、司馬昭が十八万で蜀を攻め、鍾会は漢城・楽城を囲み、別将の胡烈を陽安関(関城)に向けた。傅僉は副将の蔣舒とともに関を守っていた。蔣舒は武興督を解任された恨みから降伏を決めており、「賊が来たのに閉じこもるのは良策でない」と出撃を促した。傅僉は「命を受けて城を保つのが務め、全うすることが功だ。命に背いて出て軍を失えば国を負う、死んでも益はない」と断った。蔣舒は「君は城を保つのを功とし、私は出て敵を破るのを功とする。各々志を行おう」と兵を率いて出て、陰平で胡烈に降った。胡烈は空になった関を襲い、傅僉は格闘して死んだ。魏の人々もその義を称えた。子の傅著・傅募は蜀が滅ぶと官奴とされたが、晋の武帝が「父子ともに天下の善は一つだ」と詔して赦し、庶人とした。

THE WAY OF LIFE

傅僉の生き方

蔣舒が言った。「賊が来たのに、打って出ずに城に閉じこもるのは、良い策ではない」。傅僉は答えた。「命を受けて城を保っている。全うすることが功だ。命に背いて出て、軍を失って国を負えば、死んでも益がない」。正しいのは傅僉だった。

蔣舒は言った。「君は城を保つのを功とする。私は出て敵を破るのを功とする。各々、志を行おう」。そして兵を率いて出ていった。傅僉は、戦いに行ったのだと思った。蔣舒は陰平で魏の胡烈に降った。

空になった関城を、胡烈が襲った。傅僉は格闘して死んだ。四十一年前、父の傅肜が夷陵で「漢の将軍に降る者がいるか」と叫んで死んだのと、同じ年の秋、同じ国の最後の年。魏の人々も、その義を称えた。晋の武帝は後に詔を出して、二人の息子を官奴から解いた。

持ち味と、その裏側

命令を守る堅実さと、裏切られても持ち場を離れない芯。父と同じく、最後まで降らなかった。一方で、副将の蔣舒の恨みを見抜けず、出撃を止めきれなかった。『三国志演義』では長城で魏将を討ち取る勇将として描かれるが、史実の記録は陽安関の最期がほぼすべてである。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜263年

荊州義陽郡の人。父は傅肜。息子に傅著・傅募。

  1. 義陽の人。生年と字は伝わらない。222年、父の傅肜が夷陵で劉備の殿軍を務めて戦死すると、蜀はその護駕の功により傅僉を左中郎に拝した。のち関中都督となった。
  2. 263年8月、司馬昭は四方の兵十八万を発し、鄧艾に沓中の姜維を攻めさせ、諸葛緒に姜維の帰路を断たせ、鎮西将軍鍾会に駱谷から漢中を襲わせた。9月、鍾会は李輔に楽城の王含を、易愷に漢城の蔣斌を囲ませ、自らは陽安関に向かい、護軍の胡烈に関城を攻めさせた。
  3. 傅僉は副将の蔣舒とともに陽安関を守っていた。蔣舒はかつて武興督だったが、仕事に見るべきところがなく、蜀は人を代えて蔣舒を漢中の守りの助けに留めていた。蔣舒はこれを恨み、降伏を決めていた(『蜀記』)。
  4. 蔣舒は傅僉を欺いて言った。「いま賊が来たのに、撃たずに城を閉じて自ら守るのは良策ではない」。傅僉は答えた。「命を受けて城を保つ以上、全うすることが功だ。いま命に背いて出て戦い、もし軍を失って国を負えば、死んでも益がない」。蔣舒は「君は城を保って全うすることを功とし、私は出て戦って敵に克つことを功とする。各々その志を行おう」と言い、兵を率いて出た(『漢晋春秋』)。
  5. 傅僉は蔣舒が戦いに行ったと思った。蔣舒は陰平に至って胡烈に降った。胡烈は守りの手薄になった関城を襲い、傅僉は格闘して死んだ。魏の人々もその義を称えた。陳寿は「蔣舒は城を開いて出降し、傅僉は格闘して死んだ」と記し、「論者はその父子の奕世の忠義を嘉した」と結んだ。
  6. 息子の傅著・傅募は蜀が滅ぶと奚官(官奴)に没せられた。晋の武帝司馬炎は詔して「蜀の将軍傅僉は、さきに関城にあって身をもって官軍を拒み、死に致って顧みなかった。僉の父肜も、また劉備のために戦死した。天下の善は一つであり、彼我によって異なるものではない」と言い、二人を赦して庶人とした(『蜀記』)。
  7. 『三国志演義』第112〜116回では、姜維に見出された勇将として長城の戦いで李鵬を討ち王真を生け捕り、王瓘の偽降を見抜く計に加わる。陽安関では蔣舒に城門を閉ざされ、「生きて蜀の臣となり、死しては蜀の鬼となる」と叫んで戦い、自刎する。「寧ろ傅僉と為りて死すとも、蔣舒と作りて生きず」と詠まれた。長城での武功は物語の脚色だが、陽安関の最期は史実に沿っている。成都の武侯祠の武将廊には、趙雲・張翼・馬超らと並んで塑像が置かれている。

主な出典
『三国志』蜀書「姜維伝」「楊戯伝」、裴松之注引『漢晋春秋』『蜀記』、『晋書』文帝紀、『三国志演義』第112〜116回。経歴は 百度百科「傅僉」の記述も参照しています。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

功を立てる機会より「命を受けて城を保つ」務めを選び、命に背くことを「死んでも益がない」と断ったことから、規律は強い秩序に置いています。

出撃すれば功名の機会もあった場面で、命じられた「城を保つ」ことを選び、裏切られても降りませんでした。自分の功より国への務めを取り、最後まで守った人として、動機は利他寄りに置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

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