CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
倉慈
敦煌を立て直し、西域の人々に顔を切って悼まれた太守
倉慈は、魏の敦煌太守です。太守が二十年も空席で、豪族が土地を独占し西域の商人を道で止めて踏み倒していた敦煌に赴任し、豪族の余った田を貧民に分け、訴訟を自ら裁いて一年の刑は十人に満たず、西域の商人には通行証を発行し官の品で公平に取引して護送までつけました。任地で没すると、民は肖像を描いて偲び、西域の人々は集まって号泣し、刀で顔を切って誠を示し、遠く西域に祠を建てました。経歴は『三国志』魏書「倉慈伝」をもとにしています。
淮南の人で、字は孝仁。郡の小吏から、曹操の淮南屯田で綏集都尉となり、黄初の末に長安令として「清約にして方あり、吏民畏れて愛す」と評された。太和年間に敦煌太守となる。戦乱で中原と隔てられた敦煌は太守不在が二十年続き、豪族が横行していた。倉慈は豪族を抑え、余剰の田地を貧民に口数で分け与えて代価は少しずつ返させ、溜まった訴訟を自ら読んで死罪以外は鞭杖で放免し、一年の刑は十人に満たなかった。西域の商人には洛陽行きの通行証を発行し、帰る者には官が公平に買い取り、吏民に護送させた。数年で任地に没すると、吏民は親を亡くしたように悲しみ、肖像を描いた。西域の人々は戊己校尉の治所に集まって哀悼し、刀で顔を切る者もあり、祠を建てて遥かに祀った。
THE WAY OF LIFE
倉慈の生き方
着任した敦煌は、太守の席が二十年空いていた。豪族が土地を取り尽くし、小民には針を立てる土地もない。倉慈は豪族の余った田を、人の数に応じて分けた。代価は少しずつ返せばいい、と。
西域から来る商人は、豪族に道を止められ、取引で騙され、物を奪われていた。倉慈は彼らを労い、洛陽へ行く者には通行証を書いて印を押し、帰る者には役所が公平な値で買い取って、吏と民に道中を守らせた。民も異邦人も、ともにこの人の徳を称えた。
数年で任地に没した。吏も民も、肉親を失ったように泣き、顔を絵に描いて偲んだ。西域の人々は知らせを聞くと、校尉の役所に集まって声を上げて泣き、刀で自分の顔を切って血の誠を示した者もいた。そして遠い西域の地に、倉慈の祠を建てた。
持ち味と、その裏側
豪族を抑えつつ貧民を救い、刑を減らし、異邦の商人まで公平に遇した、実務と情の両方を持つ治め方。一方で、記録は短く、戦場の功や中央での発言は伝わらない。地味な善政の人である。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(太和年間=227〜233年に敦煌太守、数年で任地に没)
揚州淮南の人。字は孝仁。
- 淮南の人。はじめ郡の小吏となった。建安年間、曹操が淮南で屯田を募ると、綏集都尉に任じられた。
- 黄初の末に長安令となった。清廉で節度があり、法にかなった治め方で、吏も民も畏れ、かつ愛した。
- 太和年間、敦煌太守に遷った。敦煌は西の果てにあり、戦乱で中原から隔てられ、太守が二十年も不在だった。大姓が威を張るのが土地の習いとなり、前任の尹奉らは旧例をなぞるだけで正そうとしなかった。
- 倉慈は着任すると豪族を抑え、貧しく弱い者を救い、土地の実情によく合った政を行った。大族には余った田地があり、小民には針を立てる土地もなかったので、余剰の田を人数に応じて割り当て、代価は少しずつ返させた。
- それまで県で裁けない訴訟が郡に山積みになっていた。倉慈は自ら読んで軽重を量り、死罪にあたるもの以外は鞭か杖で放免した。一年に刑を決めた者は十人に満たなかった。
- 西域の雑胡が貢献に来ようとすると、豪族がしばしば道を断ち、取引でも欺き侮って、まともに勘定が立たなかった。胡人は常に恨んでいた。倉慈は彼らを労い、洛陽へ行こうとする者には通行証(過所)を発行して封印し、郡から帰ろうとする者には官が公平に買い取り、役所の手持ちの品で取引し、吏民に道中を護送させた。民も夷も、こぞってその徳と恵みを称えた。
- 数年ののち、任地で没した。吏民は肉親を亡くしたように悲しみ、その姿を絵に描いて面影を偲んだ。西域の諸胡は倉慈の死を聞くと、戊己校尉や長吏の治所に集まって哀悼し、刀で顔を切って血の誠を示す者もあった。さらに祠を建て、遥かに祀った。
- 陳寿は鄭渾と並べて「恤理(民をいたわる治め方)に方があった。いずれも魏の名太守であろう」と評した。
主な出典
『三国志』魏書「倉慈伝」(任蘇杜鄭倉伝)。経歴は 百度百科「倉慈」の記述も参照しています。
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
豪族の既得権に手を入れたが、やり方は法と制度(田地の分配、通行証、官による買い取り)を通してであり、刑も法の範囲で減らしたことから、規律は秩序寄りに置いています。
豪族の土地を貧民に分け、西域の商人を守り、訴訟を自ら読んで刑を減らしました。自分の評判や上への見栄えではなく、目の前の民と異邦の商人のために働き続けた人として、動機は強い利他に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。